通常国会の招集を前にした会見で、石破首相は「楽しい日本」というキーワードを掲げたそうです。
まずは「何じゃそりゃ?」以上の感想が出ませんし、おそらくメディアの記事からSNSまであらゆるツッコミの嵐になっていると思うのですが…私が一番違和感を持ったのは、次の部分でした。
石破茂 総理
「全ての人々が、安心と安全を感じ、信じ、多様な価値観を持つ1人1人の国民が、今日より明日は良くなる、そのように実感をし、自分の夢に挑戦し、自己実現を図っていける。お互いが大切にしそういう活力ある国家であると考えております。」
なるほど。さて、えーと…
ここ半年ぐらいの日本で、長年の夢が叶ったダントツの存在って、石破さん自身だと思うんですよ。あんなになりたがっていた総理大臣になれたんだもの。ちょっとこれ以上無いスケールの「自己実現」です。
だけど、石破さんちーっとも「楽しそうに」見えない。
それは逆境だからというわけではなく、総理になる事自体が目的化していた=当選の時点が「楽しさのピーク」だったからのように私には見えます。
これは買い物なんかだと、多くの人に同様の経験があると思います。あれ良いなあ、欲しいなあと思っていたモノも、手に入った瞬間が喜びのピークで、入手後は大して使わなくなってしまう。家電でも洋服でも趣味の道具でも「あるある」な話です。
「夢」や「自己実現」は「消費財」の一種です。行動の原動力や一時的な満足は得られても「消」費なので、やがては(成就、頓挫のどちらになるにせよ)消えてしまうもの。
自分の感覚では、「楽しい」という感覚は「価値を生む」事と完全に一体になっています。これは大規模な作品を作るとか事業を成功されるみたいな大仰な事ばかりでなく、例えば「ご飯を作る」みたいな日常的な価値創造行為でも同様です。
カタルシス、ルサンチマンの撒き散らしは、出発点が「マイナス」なので、どれだけ「果たした」としても最大で「ゼロ」。「楽しさ」にはつながりません。
キャンセル・カルチャーや皇室バッシングで溜飲を下げている人って、まったく(価値創造と一体としての)「楽しさ」を感じていないと思う。それどころか、自分の日常から遊離した存在を叩けば叩くほど、自らの心の空洞をより強く感じる堂々巡りになっているはず。
Dreams come trueして首相になった石破さんが実に楽しそうに政務にあたっていたら、それだけで国民に高揚感を生み出せるはずなんだけど、やはりこの人自身のキャラクターは陰気すぎてそうした存在になるのは難しそう。
だけど、もし愛子天皇実現への「立役者」として尽力していたとしら、ノイジーマイノリティーの雑言以上に肯定的な評価も集まり、本人の「楽しさ」も相当なものになったはずです。これ以上の、日本の未来に向けた価値創出なんてそうそう無いんだから。
さらに言うと、多くの庶民は生活に追われてはいても、その状況の中からも「楽しみ」を生み出すセンスは、石破さんよりもはるかに高いものを持っています。
だから、この「キーワード」は、高いところから石破さんに言われるようなものでは無いんです。むしろ逆。
石破さん、頼むから貴方自身が「楽しい!」と感じられる熱量をもって国政にあたって、国民の活力につながるような価値を生み出してみてください。